1854年から受け継がれる

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ルイ・ヴィトン

レガシーのはじまり

1821年、フランスのジュラ地方の山間にある小さな村、アンシェで生まれた創業者ルイ・ヴィトン。17世紀から粉屋を営む生家は、森の奥の水車小屋で製粉業や大工として暮らしていました。木と水の音に囲まれたこの場所で、ルイは幼い頃から職人技への深い敬意を育んでいきました。

14歳の時、ルイはパリを目指し、徒歩でフランスを横断する旅に出ました。2年以上もの歳月をかけて、日雇いや厩番、木こりの仕事をしながら、粘り強さと機知を磨いていきました。

そして、パリに到着した1837年──熟練の荷造り用木箱製造兼荷造り職人であったロマン・マレシャルの下、見習いとして働きはじめました。ルイは、17年間にわたり精巧な製造技術を学ぶと共に、上流階級の旅行者の変化するニーズを把握することで、のちに伝説的なメゾンを築く礎となるスキルを培いました。

起業家精神に満ちたアルチザン

1854年、結婚してまもないルイは、ヴァンドーム広場にほど近いヌーヴ・デ・カプシーヌ通り4番地に、自身初の店舗をオープン。創業当初のトランクは、丸みを帯びた蓋に鉄製の補強材を組み合わせた、当時の典型的な特徴を反映したものでした。しかし、間もなく、ルイはその構造を刷新し、グリ・トリアノン キャンバスを使用した蓋が平らなトランクを発表。より軽く、より堅牢で、積み重ねが可能なそのトランクは、新たな交通手段の発展に伴う、旅の変化に完璧にマッチしていたのです。

メゾンの中心

パリのアトリエが手狭になったため、ルイは1859年にアニエール=シュル=セーヌに土地を購入し、新たなアトリエを建設。このロケーションは、パリの華やかな社交界と主要な製造ルートの両方に近いことから選ばれました。1870年代にはヴィトン家がアニエールに居を構え、ルイ・ヴィトンのレガシーの中心となる場所として、サヴォアフェール(匠の技)、革新性、芸術性が代々受け継がれていきます。

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ジョルジュ・ヴィトン

1人のアルチザンの人生─旅─から世界的なメゾンへ

1857年に誕生したルイの1人息子ジョルジュは、16歳になるとアニエールのアトリエで見習いをはじめました。1880年には、パリのスクリーブ通りにあった店舗の経営を引き継ぎ、メゾンにとって新たなスタートを刻みます。同時に、アニエールのアトリエを拡大し、レザーグッズ部門を設立。トランクと旅の世界で育ったジョルジュは、大胆なアイディアや無限のエネルギーでメゾンの新章を開きます。1888年にはトランク用の素材として、外装にはじめて「Vuitton」の名を記した、ダミエ・キャンバスを発表しました。その1年後には、顧客の大切な所持品を守るために、画期的でこじ開けられない「5枚羽根」の錠前の特許を取得しました。

ダミエ・キャンバスの模倣が絶えないことから、ジョルジュは1896年にメゾンのシグネチャーエンブレムとなる新しいモチーフを探しはじめます。アール・ヌーヴォーやジャポニスム、ゴシック様式の紋章芸術からインスピレーションを得て創作したのが、現在ではメゾンの象徴となっているモノグラム・キャンバス。これは、幾何学的なフラワー・モチーフと父のイニシャルである「LV」を組み合わせたもので、1892年に他界したルイへのオマージュが込められています。

1885年、ジョルジュはルイ・ヴィトン初となる海外支店をロンドンにオープンさせ、瞬く間にニューヨーク、フィラデルフィア、ニース、リールへと拡大させると、広がり続ける旅行者の世界にヴィトンの名を広めました。1914年、パリでのビジネスにおける店舗拡張の必要性を認識したジョルジュは、建築家と共に店舗デザインを再考することで、店舗を体験の場へと変貌させました。そして、パリの顔であるシャンゼリゼ通りに新たな「ヴィトン ビルディング」をオープンするのです。

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ガストン-ルイ・ヴィトン

新境地の開拓

1883年にアニエールで生まれたガストン-ルイは、トランクや道具、遠く遥かな旅先の物語に囲まれて育ちました。蒐集家であり愛書家、そして創造的な思考の持ち主であった彼は、軽量でしなやかな素材を探求。新世代のための旅の真髄(こころ)を再解釈し、新たな事業拡大の波のはじまりとなりました。

自身もアーティストであったガストン-ルイは、1920年代のクリエイティブな潮流の中にメゾンを導き、ついには1925年にパリで開催された現代産業装飾芸術国際博覧会へのメゾンの参加にいたりました。

こうした革新や探求のスピリットは、クラフツマンシップを超越した冒険へと彼を駆り立てます。1910年の時計製造におけるスタークロックのデビューから、ニューヨーク-パリレースにおけるフランスの自動車メーカー、モトブロックへの装備品の提供、そして1927年のメゾン初のフレグランス「ウール・ダプサンス」の創作にいたるまで、ガストン-ルイは、ルイ・ヴィトンの世界をさまざまな分野へと広げ、今日の私たちが知るメゾンの礎を築いたのです。

1人のアルチザンの夢からはじまり、ヘリテージ、革新性、そして時代を超越したエレガンスの世界的な象徴へと世代を超えて進化してきたルイ・ヴィトンの旅。クラフツマンシップに根差したそれぞれの章が、今日のメゾンの姿を体現しています。

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壮大な旅

1854

ヌーヴ・デ・カプシーヌ通り

33歳になったルイは、ヴァンドーム広場に近いヌーヴ・デ・カプシーヌ通りに自身初の店舗をオープン。木工における卓越した技術と専門知識をもとに、ロシェ通りのアトリエで独自のトランクの製作をはじめます。また彼は同年、クレマンス-エミリー・パリオーと結婚しました。

グリ・トリアノン キャンバス

ルイは、蓋が平らなトランクを、オイルを塗った麻のキャンバスで覆いました。これは、レザーよりも軽く、実用的で防水性を兼ね備えていました。当初、「グリ・オルディネール(普通のグレー)」と呼ばれたこの色は、テュイルリー宮殿や貴族の邸宅の色調を反映し、「グリ・トリアノン」として知られるようになりました。

丸みを帯びた蓋から平らな蓋へと進化したトランク

1860年頃、ルイは従来の丸みを帯びた蓋を平らな蓋へと置き換えることで、トランクの積み重ねを容易にし、旅に革命をもたらしました。軽量のポプラ材を使用し、スラットで補強した新しいトランクは、耐久性と実用性を兼ね備え、旅の真髄(こころ)の転換点となりました。

1859

アニエール=シュル=セーヌのアトリエ

パリのアトリエが手狭になったルイは、妻と共にアニエール=シュル=セーヌに1,080平方メートルの土地を購入。これは、彼の戦略的な判断によるものでした。この街は、新しい鉄道線でパリと直結しており、またセーヌ川にも近いため、トランクのフレームに使用されるポプラ材を水運によって容易に運ぶことができたのです。

1867

パリ万国博覧会

ルイは、1867年のパリ万国博覧会への参加を申請。「荷造りと旅行用」トランク製造業者として出展した彼は、特許を取得した自身のトランクをこの名誉ある舞台で発表し、世界中の著名な顧客を魅了。彼のクリエーションは、銅賞を受賞しました。

1872

レイエ・キャンバス

グリ・トリアノン キャンバスの模倣が絶えないことから、ルイはレッドとベージュの縞模様のレイエ・キャンバスを導入。その4年後には、明るいストライプと暗いストライプを交互に配したベージュ系の色調に変更しました。1877年には特許を出願し、これらのパターンやデザインを保護しました。

1880

アニエールに開設したレザーグッズのアトリエ

1880年、ルイはスクリーブ通りの店舗のディレクターに任命されたばかりの息子ジョルジュと共に、卓越したクラフツマンシップをさらに発展させるべく、レザーグッズを主とする新棟を増築し、アトリエを拡大しました。

1885

初の海外支店

メゾンは、当時、国際的に名声を得ていた旅行用品と、活気あるマーケットで知られるイギリスに目を向けます。ジャージー島の寄宿学校で学んだ経験を生かし、ジョルジュ・ヴィトンは、1885年にロンドンのオックスフォードストリートに初の海外支店をオープン。1900年にはニューボンドストリートに移転し、現在もこの場所で営業を続けています。

1888

ダミエ・キャンバス

特許を取得したにも関わらず、レイエ・キャンバスの模倣は続きました。そこでルイと息子ジョルジュは、新たにダミエ・キャンバスを考案。ジョルジュは、ベージュとブラウンの小さな四角形のモチーフの1つに「Marque L. Vuitton déposée(L. ヴィトン登録商標)」の文字をあしらうことで、初めて外装にメゾンの名を記したデザインを登録しました。

1889

安全なトランク

顧客の所持品を守るため、ジョルジュ・ヴィトンは、こじ開けや改ざんが不可能な複数の羽根を備えたタンブラー錠の特許を申請。現在も使用されているこのシステムでは、錠前を個々のシリアル番号に紐付けることで、顧客が所持しているすべてのトランクを1つの鍵で開錠することが可能となっています。

1896

モノグラム・キャンバス

ダミエ・キャンバスが模倣されるようになると、ジョルジュは、父ルイへのオマージュとして「LV」のイニシャルをあしらった新しいパターンをデザイン。当初はL.V. キャンバスと呼ばれていましたが、1986年以降はモノグラム・キャンバスに改名されます。ダミエのカラーパレットはそのままに、植物的な要素と幾何学的な要素が組み合わされた3つのフラワー・モチーフにルイ・ヴィトンのイニシャルを加えた4つのシンボルが施されています。

1898

アメリカへの進出

1893年、渡米中のジョルジュは、メゾンの海外での事業拡大を決意。1898年までにルイ・ヴィトンのトランクは、ニューヨークとフィラデルフィアの百貨店ジョン・ワナメーカーで展示・販売されるようになり、その後、他の海外拠点へと広がっていきました。

1901

「スティーマー」

1900年代初頭に登場した「スティーマー・バッグ」は、ランドリーバッグとして考案され、大西洋横断航行中のワードローブ・トランクの下部コンパートメントに収まるようデザインされた、メゾン初の折り畳み可能なソフトバッグでした。数十年にわたり、輸送手段の変遷と共に進化し、メゾンの最もアイコニックなトラベルバッグの1つとなっています。

1903

ヴィトニット・キャンバス

1900年という早い時期から、メゾンの販売記録にはペガモイドというコーティッド・キャンバスの名が見受けられます。耐久性と防水性に優れ、水洗い可能なこの素材を応用し、1903年に「ヴィトニット」と名付けられたキャンバスを開発。自動車用ラゲージに理想的なこの素材は、軽量で耐久性があり、あらゆる車体の色にも調和するように着色が可能でした。

1914

シャンゼリゼ通り

1914年、メゾンはシャンゼリゼ通り70番地に新たな店舗をオープン。「ヴィトン ビルディング」として知られるこの店舗は、ガストン-ルイ・ヴィトンが考案したウィンドウ・ディスプレイによって瞬く間に成功を収めました。この場所は、1954年までパリにおけるメゾンの顔となっていました。そして1998年、ルイ・ヴィトンは再びこのアイコニックな通りに帰還しています。

1927

初のフレグランス

メゾン初のフレグランス「ウール・ダプサンス(余暇の時間)」──ヴィトン家の別荘にちなんで名付けられ、モダンな旅にオマージュを捧げる距離標式の形をしたケースとボトルに収められていました。2020年、ウィメンズ・フレグランスとしてこの名を冠した新しい香りが誕生。現在も、メゾンは時代を超越するクリエーションを通してフレグランスのレガシーを継承し続けています。

1930

「キーポル」

1930年代に「ティアント」という名で発売された「キーポル」──当初はキャンバスとレザーで製作され、のちにモノグラム・キャンバスなどのアイコニックな素材が使用されるようになりました。丸みを帯びたシルエット、しなやかな横長の構造、トロンハンドルが特徴で、ルイ・ヴィトンのエレガンスの象徴となっています。

「スピーディ」

1930年代に、機内持ち込み用のバッグとして製作された「エクスプレス」──のちに「スピーディ」と改名されたこのバッグは、次々と移り変わるスピーディな時代に合わせてガストン-ルイ・ヴィトンがデザインしたもの。1959年には、モノグラム・キャンバスで再解釈されてハンドバッグへと生まれ変わり、オードリー・ヘプバーンが愛用したことで有名になりました。

1932

「ノエ」

あるシャンパンの生産者から、ボトル5本を持ち運びできるエレガントで丈夫なバッグの製作の依頼を受け、ガストン-ルイ・ヴィトンがデザインしたバッグ「ノエ」──その後シティバッグとして生まれ変わり、1959年にはモノグラム・キャンバスで登場。今日にいたるまで、鮮やかな色彩とさまざまなサイズで再解釈され続けています。

1959

しなやかなキャンバス

1896年に発表されたモノグラム・キャンバスは、ハードトランクには理想的でしたが、柔らかい製品には不向きでした。この課題に対処するため、1950年代後半、クロード-ルイ・ヴィトンは、柔軟性を向上させるコーティングの新プロセスを開発し、レザーグッズの新時代が幕を開けました。

1968

「サックプラ」

1968年にビーチバッグとして誕生した「サックプラ」──絶えず再解釈され、魅惑的なカラー、モチーフ、サイズで展開してきました。実用性を重視したデザインで、ゆったりとしたサイズ感と快適な使い心地が魅力の、エフォートレスでマストハブなバッグです。

1976

「ドーフィーヌ」

1976年にデザインされたモデルから着想を得た「ドーフィーヌ」──2019クルーズ・コレクションにおいてニコラ・ジェスキエールが再解釈しました。パリの広場にちなんで名付けられ、1908年にガストン-ルイ・ヴィトンが商標登録したアイコニックなLV サークル ロゴの留め具が特徴です。

1978

日本での店舗オープン

ルイ・ヴィトンは、1978年、東京と大阪に初の店舗をオープンし、正式に日本への進出を果たしました。1981年には、名高い東京・銀座の並木通りに初の直営店をオープンしました。

1983

スポーツ界における初のパートナーシップ

ルイ・ヴィトンと、最も歴史ある国際ヨットレースであるアメリカズカップの道のりが初めて交差したのは1983年のこと。メゾンは、このレースへの挑戦艇決定シリーズの主催者となり、これらのトロフィーを収めるカスタムメイドのトランクを製作。今日、ルイ・ヴィトンは、世界最高峰のスポーツイベントと複数のパートナーシップを結んでいます。

1985

エピ・レザー

1985年に発表されたエピ・レザーは、1926年、マハラジャのために製作された「ティー・ケース」に代表される、1920年代のグレインレザーから着想を得て誕生しました。ドラム染色と風に揺れる麦の穂を想わせる線状のモチーフをエンボスで施したレザーは、丈夫で傷付きにくく、美しい経年変化を楽しめます。鮮やかな色彩とクラフツマンシップで知られるエピ・レザーは、メゾンを象徴する素材となっています。

1992

「アルマ」

1934年の発売当初は「スクワイア」と名付けられたこのモデルは、いくつかのデザイン変更と、「シャンゼリゼ」や「マルソー」といった名称変更を経て、1992年に「アルマ」となりました。アール・デコから着想を得たこのデザインは、約1世紀にわたって再解釈が重ねられ、2010年には小ぶりなBBサイズが製作されました。

マーク ジェイコブス

1997

1997年、メゾンはマーク・ジェイコブスをウィメンズおよびメンズ・コレクションのアーティスティック・ディレクターとして迎え、プレタポルテとアクセサリーの分野へ進出。彼は16年間にわたり、その創造性や華やかなショー、さらにはスティーブン・スプラウス、村上隆、リチャード・プリンスなどのアーティストとのコラボレーションを通じてメゾンに新たな命を吹き込みました。

1998

ルイ・ヴィトン ライブラリー

20年以上にわたり、ルイ・ヴィトンは、「シティ・ガイド」、「トラベルブック」、「ファッション・アイ」という3つの主要なトラベルシリーズで約100タイトルを刊行し、出版におけるレガシーを築き上げてきました。さらに、メゾンの創造性を讃える書籍において、国際的な出版社とのコラボレーションも行っています。

2001

象徴的なコラボレーション

1910年、メゾンは初となるアーティスティックなコラボレーションを行い、ラグジュアリーと現代クリエーションとの対話を生み出しました。2001年には、スティーブン・スプラウスがモノグラム・キャンバスを再解釈。以来、ルイ・ヴィトンは、村上隆、リチャード・プリンス、草間彌生、ジェフ・クーンズといったアーティストとのコラボレーションを重ねています。

2002

初のウォッチ「タンブール」

時計製造の分野へと進出したルイ・ヴィトンは、「タンブール」を発表。ドラム型のケース、ブラウンのダイアル、そしてレザーグッズに使用されてきた歴史あるステッチにオマージュを捧げるイエローの針を備えた「タンブール」は、精度の高いスイスの技術とタイムレスなメゾンのコードを融合させたもの。そして今なお、ルイ・ヴィトンは時計製造の卓越性を再定義し続けています。

2004

初のファインジュエリー・コレクション

ルイ・ヴィトンの伝統的なトランクやアイコニックなシグネチャーから着想を得て誕生した「アンプラント」(2004年)──メゾンを象徴する旅のエスプリを想起させるコレクションです。ルイ・ヴィトンは現在も、創造性や革新性の境界を押し広げ、卓越したファインジュエリーやハイジュエリーのコレクションを創作し続けています。

2004

「クリストファー」

2004-2005秋冬メンズ・ファッションショーで初めて登場したバックパック「クリストファー」──収納力と機能性、そしてカジュアルなエレガンスを兼ね備えています。安全性の高い留め具と複数のポケットが施され、街でのアクティブな装いから洗練されたスタイルまでマッチする理想的なパートナーです。

2006

ルイ・ヴィトンのエキシビション

2006年、メゾンはパリから世界の主要都市へと広がるエキシビションスペース「エスパス ルイ・ヴィトン」を開設。こうした文化的な旅は、「Volez, Voguez, Voyagez – Louis Vuitton (空へ、海へ、彼方へ──旅するルイ・ヴィトン)」展(2015年)、「LV DREAM」(2022年)、そして世界を旅する巡回展「ビジョナリー・ジャーニー」展(2024年)へと続いています。

2007

「ネヴァーフル」

その名の通り、無限の多様性を誇る「ネヴァーフル」──軽量で、収納性と耐久性に優れたタイムレスなそのデザインは、まさに日常のアイコン。2024年には、リバーシブルで楽しめる「ネヴァーフル・インサイドアウト」として再解釈されています。

キム
ジョーンズ

2011

2013年、キム・ジョーンズは、マーク・ジェイコブスの下でルイ・ヴィトンのメンズ・プレタポルテのアーティスティック・ディレクターに就任。ジェイコブスの退任後、彼はチャップマン・ブラザーズ、クリストファー・ネメス、シュプリームなどとのコラボレーションを通じて、メゾンのコードにストリートウェアのモダンな魅力を吹き込みました。

2012

「オブジェ・ノマド」

メゾンの旅の真髄(こころ)が、デザインとファニチャーの世界に融合した「オブジェ・ノマド」──カンパーナ・ブラザーズといった著名なアーティストが手掛けた限定エディションのクリエーションを展開。創造性と革新性が調和したコレクションは、年々進化を遂げ、特にミラノデザインウィークやアート・バーゼル・マイアミで注目を集めています。

ジャック・キャヴァリエ ベルトリュード

2012

2012年、ルイ・ヴィトンのマスター・パフューマーとして香りの旅に乗り出したジャック・キャヴァリエ・ベルトリュード。代々調香師の家系に生まれた彼は、その専門知識を生かし、フランスのグラースに構えるアトリエ「レ・フォンテーヌ・パルフュメ」にてクラフツマンシップと世界中の稀少な原料を駆使し、類い稀なフレグランスを創造しています。

ニコラ ジェスキエール

2013

ウィメンズ アーティスティック・ディレクターを務めるニコラ・ジェスキエールは、革新的なスピリットでフェミニンなエレガンスを再解釈し続けています。彼のビジョンによって、メゾンのタイムレスなコードを再構築すると共に、そのヘリテージを、大胆で建築的なラインが際立つシルエットに融合させています。

2013

「カプシーヌ」

タイムレスで多彩な魅力を放つバッグ「カプシーヌ」──カジュアルからエレガントなスタイルまで、あらゆる装いを引き立てます。しなやかな天然レザーで仕上げたそのデザインは、ルイ・ヴィトンの卓越したサヴォアフェール(匠の技)を体現。メゾンの伝統へのオマージュとして、ルイ・ヴィトンが初の店舗を構えたヌーヴ・デ・カプシーヌ通りにちなんで名付けられました。

2014

「プティット・マル」

メゾンにおけるニコラ・ジェスキエールのデビューとなった2014-2015秋冬ウィメンズ・ファッションショーを象徴する「プティット・マル」──銀行家で慈善家でもあったアルベール・カーンのトランクから着想を得て、モダンなノマディズムを体現するデザインです。現在まで、さまざまな手法で再解釈されています。

2014

フォンダシオン ルイ・ヴィトン

建築家フランク・ゲーリーが設計を手掛け、2014年にオープンした「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」──パリのブローニュの森の中にある現代アートの殿堂です。この独創的な空間では、モネ、バスキア、ロスコなどのアーティストによる常設コレクションや主要なエキシビションが開催されています。

2015

「ツイスト」

モダンなエレガンスをまとったアイコニックなバッグ「ツイスト」──シグネチャーのLV ツイストロックがメゾンのヘリテージを反映。毎シーズン、ルイ・ヴィトンならではの表現で再解釈され、あらゆる装いを引き立てるタイムレスなシルエットが魅力です。

2016

ゲームの世界へ

2016年、ビデオゲームの世界における先駆的な取組みとして『ファイナルファンタジー』とタッグを組んだルイ・ヴィトン。ニコラ・ジェスキエールが手掛けたコレクションと共に、ヒロインのライトニングを起用したユニークなキャンペーンを展開しました。2019年には、ライアットゲームズの『リーグ・オブ・レジェンド』とのパートナーシップを締結。キャラクターの1人であるキヤナのスキンとカスタムメイドのトロフィー・トランクをデザインしました。

ヴァージル アブロー

2018

著名なアメリカ人デザイナー ヴァージル・アブローは、2018年にメゾンに加わり、メンズ・コレクションに力強いストリートウェアの要素を吹き込みました。彼は、若い世代を魅了しながら、ルイ・ヴィトンのヘリテージを現代的な視点を通して探求し、包括性と多様性の境界を押し広げました。

フランチェスカ アムフィテアトロフ

2018

2025年までウォッチ&ファインジュエリー部門のアーティスティック・ディレクターを務めたフランチェスカ・アムフィテアトロフ。自身の旅や豊かな知見から着想を得て、伝統的なサヴォアフェール(匠の技)を現代的なアプローチで再解釈しました。パイオニア精神を原動力に、ルイ・ヴィトンのアイコニックなコードを讃える類い稀なクリエーションの数々を生み出しました。

2019

「オンザゴー」

その名の通り、アクティブなライフスタイルを過ごす現代の女性にぴったりな「オンザゴー」──お出掛けのマストハブアイテムを収納できる充分なスペースを備えています。2019年に発表され、クラシックなモノグラムのエレガンスとモダンなシルエットを融合させた構築的なフォルムが美しいトートバッグです。

2019

「ソフトトランク」

ヴァージル・アブローは、ルイ・ヴィトンでのデビューを飾った2019春夏ファッションショーで、アイコニックなトランクを多用途に活躍するソフトバッグに再解釈。ショルダーバッグやクラッチバッグとしても楽しめるモダンなマストハブアイテムです。

2020

ルイ・ヴィトン初のレストラン

2020年、ルイ・ヴィトンは、メゾン 大阪御堂筋にシェフ 須賀洋介とのコラボレーションによる初のレストランをオープン。以来、サントロペ、バンコク、ニューヨーク、ミラノへとその美食の世界を広げ、世界各地でファッションとファインダイニングの融合を実現しています。

2021

「クッサン」

2021春夏コレクションで発表された「クッサン」──柔らかさ、ボリューム感、そしてしなやかな質感を体現したバッグです。ファスナー開閉式の3つのコンパートメントを備えた内装は、モダンかつ機能的で、日常のエレガンスを演出します。

2022

「サイドトランク」

メゾンのトランク製造の伝統から着想を得た「サイドトランク」──ニコラ・ジェスキエールが手掛けた2023クルーズ・ファッションショーで初めて登場しました。2014年に発表された「プティット・マル」を、フレッシュかつ現代的なひねりを加えて再解釈したバッグです。

ファレル ウィリアムス

2023

ミュージシャン、映画監督、慈善家としても活躍するファレル・ウィリアムス──彼は、メンズ クリエイティブ・ディレクターとして、ルイ・ヴィトンに革新的なビジョンをもたらします。伝統的なスタイルの境界を押し広げ、メンズ・コレクションにコンテンポラリーな魅力を吹き込みながら、メゾンの先駆的なスピリットや象徴的なサヴォアフェール(匠の技)を際立たせています。

パット マクグラス

2025

2025年、メゾン初のビューティー・コレクション「ラ・ボーテ ルイ・ヴィトン」で新章を開いたルイ・ヴィトン。このエキサイティングな冒険は、コスメティック・クリエイティブ・ディレクター パット・マクグラスの指揮の下、旅の真髄(こころ)や卓越したクリエイティビティに根差したメゾンのビジョンをさらに拡大するものです。

初のビューティー・コレクション

メゾンの伝統と革新的なスピリットに忠実に──メゾンは、それ自体がプレシャスなオブジェとしてデザインされたクリエーションやアクセサリーで構成されたビューティー・コレクション「ラ・ボーテ ルイ・ヴィトン」を発表。パット・マクグラスがこだわり抜いて創り上げたレフィル可能なリップスティック、リップバーム、アイシャドウは、独自のフォーミュラと多彩なカラーで自己表現を讃えます。

ヘリテージ

時を超えるマルティエ

1854

蓋が丸いトランク

ルイ・ヴィトンは、実用的で防水性があり、防臭性に優れたデザインでトランク製造の分野に革命をもたらしました。蓋に丸みを持たせた構造により、雨水が流れ落ち、表面に水滴が溜まるのを防ぎます。当時、臭いの強かったレザーの代わりにグリ・トリアノン キャンバスでトランクを覆うことで、耐久性を向上させました。

1867

蓋が平らなトランク

創業者ルイは、ポプラ材を使用することで軽量性を維持しながら、鉄製のバンドとブナ材のスラットで補強された、蓋が平らなデザインを考案。積み重ねが可能で耐久性があり、衝撃や水にも強いこの革新的なトランクは、旅のスタイルを一変させました。さらに、自身のデザインを保護するために、その特徴的なトランクの特許を取得しました。

1875

ワードローブ・トランク

1875年に発表されたワードローブ・トランクは、旅における収納を再定義しました。船旅の客室内で立てたまま使用できるようにデザインされ、クローゼットのように開閉が可能。荷造りや荷解きの必要性がなくなり、大西洋横断の旅の究極の伴侶となりました。

1885

ベッド・トランク

1880年代半ばに製作されたベッド・トランクは、メゾンの革新的なスピリットを象徴しています。この独創的なクリエーションは、1885年にジョルジュ・ヴィトンが特許を取得し、万国博覧会や国際的な展示会で広く評価され、世界を股に掛ける旅人や探検家、冒険家などに愛用されました。

1910

「フラワー・トランク」

1910年頃、メゾンは、顧客に小さなブーケを贈りました。それは、耐水性のある亜鉛のライニングを施したモノグラム・キャンバスの「フラワー・トランク」に収められていました。このエレガントなトランクは、花が咲き終えた後もジュエリーボックスや想い出の品を収める小物入れとして楽しめます。

1923

シューズ・トランク

1925年の現代産業装飾芸術国際博覧会で注目を集めたシューズ・トランク──柔らかなライニングを施した30のコンパートメントを備え、シューズ、ブーツ、アクセサリーをスタイリッシュに収納できる、洗練された旅行用のトランクです。

1925

ビューティーケース

1916年、オペラ歌手 マルト・シュナルがオーダーした、手前に開くデザインのピッグスキンのケース。本モデルは1925年に正式に彼女の名を冠して登録され、同年、現代産業装飾芸術国際博覧会にて新作が発表されました。

1929

デスク・トランク「セクレテール・ストコフスキー」

ポーランド生まれのイギリス人指揮者 レオポルド・ストコフスキーのために製作されたデスク・トランク──旅先で仕事をする彼の習慣に合わせた仕様で、棚、引き出し、タイプライター用のスペースが備えられ、広げると折り畳み式のテーブルが現れます。ガストン-ルイ・ヴィトンは、このモデルを、顧客の名前にちなんで「セクレテール・ストコフスキー」と名付けました。

1988

トロフィー・トランク

1988年、ルイ・ヴィトンは、アメリカズカップのためにブルーのエピ・レザーを使用した初のトロフィー・トランクをデザイン。1992年にはルイ・ヴィトン カップのために、レッドのエピ・レザーのトロフィー・トランクを製作し、揺るぎないコミットメントを示しました。以来、「Victory Travels in Louis Vuitton(勝利の喜びをのせて旅するルイ・ヴィトン)」という理念を体現しながら、世界で最も権威あるスポーツ競技会において、勝利の瞬間を彩り続けています。

1997

「マル 1000 シガール」

1997年に製作された「マル 1000 シガール」は、まさに卓越したクリエーション。ワニス加工を施したシダー材の内装は、シガーの保管に最適な木材の選択に精通した匠の技が際立ちます。

2008

「コフレ 8 モントル」

1950年代の「ボワット・ア・トゥ」から派生し、2008年頃に発表された「コフレ・トレゾール」から着想を得て誕生した「コフレ 8 モントル」。メゾンのウォッチ用ハードトランクの幅広いセレクションの1つで、他にも「コフレ 1 モントル」、「ボワット・マン モントル」、「マル・オルロジェ」などのクリエーションが揃います。

2018

「マル・コワフューズ」

ビューティーリチュアルを高めるためにデザインされた「マル・コワフューズ(ヴァニティ・トランク)」は、毎日のスキンケアルーティンの伴侶として製作されました。開けると3つのセクションに分かれ、精緻に配されたコンパートメント、トレー、引き出し、折り畳み式スツール、そして上品なジュエリーケースが現れ、エレガンスと実用性が融合しています。

2019

「マル・スニーカー」

受け継がれる伝統とモダンなデザインを融合させた「マル・スニーカー」は、コレクターのための究極の逸品です。トランクを開けると、モノグラムをあしらった透明パネルの扉を配した14個の引き出しが現れ、その内の8個はハイカット用、6個はローカット用になっています。また、2枚のビルトイン式のミラーも備わっています。

2024

ベッド・トランクのリエディション「マル・リ」

1885年に最初の特許を取得したアイコニックなベッド・トランクが、2024年、「マル・リ」として3つの新たなエディションで復刻。タイムレスなモノグラム・キャンバスから、ニコラ・ジェスキエールとファレル・ウィリアムスによる大胆な再解釈まで、それぞれのクリエーションは伝統と創造性、そして先見的なデザインが見事に融合しています。

2024

オリンピックのためのトランク

LVMHとパリ2024オリンピック・パラリンピック競技大会とのプレミアパートナーシップの一環として、メゾンは特注のメダル・トランクとトーチ・トランクを製作。これは、革新性、サヴォアフェール(匠の技)、そしてスポーツの卓越性を融合させた、アイコニックなトロフィー・トランクの製作に携わってきた35年以上にわたるレガシーをさらに拡充させるものとなりました。